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【闘病記】長男の病気「再生不良性貧血」は治る?病気の経過報告

今回はいつもの記事とは少し異なり、15年前の長男の闘病記について、詳しく書いてみたいと思います。
ただし、当時の記録そのままを記載している部分があり、もしかすると現在の治療法とは多少異なる部分があるかもしれません。
その点は、ご了承ください。

このブログで、同じ病気の方に少しでも勇気や希望を持ってもらえると幸いです。

ある日突然の発症

何の疑いもなく、健康そのものと思っていた息子が、風邪をこじらせたと思って病院に連れて行くと、
先生方は難しい顔をして、何度も検査を受けさせられ、不安がつのりました。
そしてついに、検査結果が伝えられました。
血液の病気「急性リンパ性白血病」だという。
頭が真っ白になり、何も考えられず勧められるままに即入院。

地方の病院で治療ができないため、都市部の専門病院へ移ることになりました。
もちろん私は、息子に付き添うため会社を休み、最初に病院に行ってから一度も家に帰れないまま、県外の病院へ転院しました。

専門病院で再度検査をしてみると、息子の病気は「急性リンパ性白血病」ではなく、
「再生不良性貧血」というこれまた難しい病気でした。
2006年9月、息子が1歳7ケ月の時でした。

再生不良性貧血とは

再生不良性貧血は、血液中の白血球、赤血球、血小板のすべてが減少する疾患です。
この状態を汎血球減少症と呼びます。
白血球には好中球、リンパ球、単球などがあり、再生不良性貧血で減少するのは主に好中球です。
好中球は私達の体を細菌感染から守る重要な働きをしています。

これらの血球は骨髄で作られます。
本症で骨髄を調べると骨髄組織は多くの場合脂肪に置き換わっており、血球が作られていません。
そのために貧血症状、感染による発熱、出血などが起こります。(出典;難病情報センターより)

簡単に説明すると、何らかの原因により血液を上手に作れなくなり、
そのため風邪など簡単な病気でも、感染すると自分の免疫ではやっつけることができなくなる病気です。
難病にも指定されています。

病気が確定してから…

入院した時の息子の状態は、40度近くの熱があるにも関わらず、
比較的元気そう(機嫌がよさそう)だったのが、異様な感じでした。
病気の状態がひどかったため、骨髄移植する人が入るいわゆる無菌室の病棟、移植センターに入院。

病状は、通常の人では白血球の50~60%ある好中球(細菌をやっつける役割)が0.06%しかなく、ステージ5の最重症という状態でした。
治療方法としては、まずは、血縁者にHLAが適合する人があれば「骨髄移植」をすることが完治するための方法でした。
残念ながら、私も夫も長男のHLAと合致せず、もう一つの治療法である「免疫抑制療法」を行うことになりました。

治療法が決定するまでも、熱が上がったり下がったりで、傍についていても何もできず、とてもつらい日々でした。

免疫抑制療法では、ステロイドとATG(抗胸腺細胞グロブリン)とサンディミュンの3種と
G-CSF( 顆粒球コロニ一刺激因子)を引き続き投与しました。
効果が出始めるまでに、3週間ほどかかりました。

治療を始めてすぐ、ステロイドを投与し始めた2日間、息子は泣き叫び続けました。
効果が出始める1週間前からは原因不明の熱が繰り返し出て、1日に2回も39度台の熱が出たり下がったりという日が続き、
1歳の長男の体力がこのまま持つのだろうかと恐怖の日々でした。

ようやく少しずつ好中球が増え始めた途端に熱が出なくなり、炎症反応(CRP)が下がり始めました。
そのまま少しずつ好中球の数値が上がり、薬も少しずつ減らしていきました。

そして、入院から79日目に、退院することができました!

血球の動き

同じ病気の方の参考になるかと思い、息子の血球やCRPの動きをまとめました。

昔の数字を見るだけで、とても恐ろしい数値で涙が出そうになります。
息子の場合、治療前、好中球がものすごく少ない状態で、感染症をなかなか治すことができませんでした。
途中、赤血球やヘモグロビンを何度も輸血しながら、免疫抑制療法を行ったおかげでなんとか好中球が増え、
他の血球も少しずつ上昇していきました。
(輸血日時はデータに載せていません。途中で、ヘモグロビンや血小板が上昇している時は輸血の影響と思ってください。)

入院してから退院前日までの息子の血球の動き

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退院後の息子の様子

退院後は、シクロスポリン(ネオーラル)という飲み薬(免疫抑制剤)だけを飲んでいました。
ものすごくまずくて、大人であればカプセルで飲むのですが、まだ小さくて飲めなかったので、
シリンジで取って直接口に入れて飲んでいました。
最初は0.5mlを1日2回飲んでいました。
その後、調子がよくなったので、量を少し減らして0.4mlが2回/日になり、
通院も1ヶ月に2回でしたが、1ヶ月に1回になり、少しずつ通院の頻度も減っていきました。

ネオーラルの副作用で「体毛が濃くなる」というものがあります。
そのせいで、息子は眉毛が太くなり、知らない人に「眉毛がしっかりあるね~」と言われたこともあり、
親としてかわいそうに思った時期もありました。

小学校に上がるまでには、近くの大きな病院で半年に一度の血液検査でもよくなり、今ではほぼ寛解状態です。
ただ、この病気は骨髄移植をしない限り、完治はなく、再発の可能性もあるということです。

長男の場合、骨髄の型HLAが非常に珍しく、骨髄バンクでは適合する人が見つかりませんでした。
そのため、兄弟間は4分の1の確率でHLAが同じということから、
2人目の次男と3人目の長女の臍帯血を取り、臍帯血バンクで保管しています。
このまま、HLAの型を確認する必要がなければよいなと思っています。

まとめ

病気がわかる前のことですが、保育園に預けるようになってから、長男は毎月のように38度前後の熱を出していました。
でも、一人目だったこともあり、保育園に預けるとすぐ病気をもらってくると聞いていたので、それが当たり前のことなんだと思っていました。

でもよくよく考えると、熱が出る頻度が高いことと、すぐにバタっと横になることがあり、
すでに病気を発症していてきつかったんだなぁと思い出します。(この病気は、いわゆる重度の「貧血」な訳です。)

原因がわからないままでしたが、長男は今では本当に全く普通の体調となり、元気に高校に通っています。
原因や対処法は明らかではありませんが、私が長男にしてきたことは、免疫力を上げていく!ということです。
そのために私にできることと言えば、乳酸菌粉末を毎日摂取させることでした。
腸は第2の心臓と言われています。
病気と直結ではありませんが、腸内環境をよくすることは少しは免疫力に関係しているのではないかと思います。

今の医学は当時よりかなり進歩しています。
必ず治ることを信じて、乗り越えていきましょう!
このブログが、同じ病気で闘っている方の何か励みになればと思っています。

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